映画「秒速5センチメートル」のDVDを八月上旬に見ました。
うちで、高校時代の同級生三人が集まって、ぐだぐだと泊まりで飲んでいた時の観賞です。
2007年公開のアニメ映画で、監督は新海誠。
私のこれまでの感想を読んでいる人は分かると思いますが、私には合わなかったです。
さて、クオリティは前作までに比べて上がっています。前回問題だった「キャラ」も見られるようになっています。
でも、根本的に私とは合わないです。
この監督の作品は、ストーリーではなくてポエムです。
私が求めているのはストーリーです。
私が好きなのは構造です。表現も嫌いじゃないですが、一番好きなのは構造。
人間を見る場合は、テクスチャを見るとともに、まずは骨格を心眼でスキャンします。
人間が集団でいる場合は、まずはその集団の構造を探ります。
また、映画を見る時は、シナリオの構造を見ますし、絵を見る時は構図や色彩設計を見ます。ゲームを遊ぶ場合は、まずはシステムを解析します。
私が見たがるのは構造です。
なぜなら、構造が好きだからです。
そういう人間にとっては、この作品のような「心象風景をぶつ切りにして瞬間の印象の結合で何かを伝えようとする表現形式」は肌が合いません。
もちろん、そういった方向性を否定するわけではありません。
単に私が「よい」と思う範囲の外にあるので、私にとって「面白くない」だけです。
「私にとって面白くないこと=価値のないこと」かというと違います。こういった作風が好きな人も当然います。多くはないけれど。
そして、そういった「価値観の違う人」が色々といた方が、世の中の表現の幅が広がり、面白くなります。それは、世界にとって「よいこと」です。
私は多様性の信奉者なので。
というわけで、新海誠の作品は、マイナーの中のメジャーを目指す作品だなと思いました。
粗筋は特に書く必要はないと思います。
テーマは「初恋」。
話の流れとしては、「男の方が引きずるよなあ」という感じです。
初恋して、距離が離れ、相手のことを思い続けるという内容です。
粗筋を書くべき作品ではなく、CMなどの映像の印象を見て、その印象でビビッと来たら見るとよい作品だと思います。
ここまで書いて、ふと思ったことがあります。
印象を伝えるという作業は、共通体験が土台になった作業です。
たとえば「桜」を見た時に感じる印象というのは、日本人にとってはある程度共通の部分があります。
それは、そういった経験を積んでいるからです。
現代日本人には、桜のある景色は、「卒業」や「入学」といった「人の別れ」や「出会い」の記憶と強く結び付いています。
なので、成人するまで桜を見たことがなかった外国人が桜を見た時に、日本人のような感じ方はしないはずです。
つまり、景色の断片を伝えるという手法は、その景色に何の共感も持たない人間にとっては、届けようとしている印象は欠片も伝わらない(もしくは数割減でしか伝わらない)ということです。
思春期に、恋愛資本主義に疑問を持ち、否定していた人間にとっては、新海誠が送っている印象のパーツはほとんどスルーです。
なんというか、「ふはは、アキレス腱以外は効かぬわ!」という感じです。
いやまあ、そういった「心の弱点」というか「琴線」は多い方がよいとは思います。その分、アップダウンがあって、人生が豊かだということですし。
まあ何にせよ、「受信できない波長で、どんなに情報を送られても共感はできないよな」というのが素直な感想でした。
以下、少し補足です。
同じように「初恋」を扱った作品でも、構造で作ったものは違います。
構造は、ハメ技なので。
精神状態や思考を、段取りを踏んでチューニングして、特定の反応を引き起こす目的のものなので。
構造は、手順を踏んで行う、化学合成のようなものです。
ただし、「構造」は、ハメるまでにいくつかの思考の段階が入るので遅効性です。
対して「印象」は、シンクロする人は瞬時にハマるので即効性です。
相手が特定できるのならば、「印象」の方が効果を発揮しやすいです。
そういった一長一短があるので、できれば二つを駆使して、人の脳みそを引きずり回せるようになりたいです。
言葉や文で、人を発狂させたいものです。もしくは、人生を狂わせたいなあと思います。