映画「終わりなし」のDVDを九月上旬に見ました。
1984年のポーランド映画で、監督・脚本はクシシュトフ・キエシロフスキー。主演はグラジナ・シャポーフスカです。
少しミステリー要素の入った、社会派寄りの、人間ドラマ映画です。けっこう重く、ラストはかなり陰鬱です。
● 生者の視点、死者の視点
この映画の主人公は、弁護士の夫を亡くした妻です。この映画には、この主人公を中心とした生者の視点とともに、死んだ弁護士が幽霊的に世界を見る死者の視点が描かれています。
これは、「ベルリン天使の詩」(1987)を彷彿とさせられました。
とはいえ、この映画の死者の視点には、明確な思考は感じられません。
明らかに意思を持って行動しているのですが、それは空気のような存在で、生者とは物の見方も感じ方も、思考の様式も異なっていると思わされます。
ここらへんの表現は、いわゆる「幽霊」が出てくる映画の中でも、かなり変わっている方だと思いました。
● 社会主義国の労働組合、社会主義国の司法
この映画の主軸は、夫を失った妻の心の動きです。そういった内面とは別に、精神の外部の現象として起こるのは、その夫が受け持っていた裁判です。
被告は労働運動を行い、そのリーダーに祭り上げられます。主人公の夫は弁護士として、彼を受け持っていました。
夫は有能な弁護士で、理でもって勝訴に導けるだろうと予想されていました。
後を継ぐのは、その夫の師匠筋です。彼は定年間近で、理ではなく、情で勝つという、泥臭い手法を取ります。
彼は、国におもねることで、罪を消してしまうことを、被告に勧めます。しかし、別に悪徳弁護士というわけではなく、それが彼のやり方なのです。
その定年間近の弁護士の書生は、非常に若さに溢れており、被告に革命の象徴となって死ぬべきだと説きます。
そういった中、主人公である妻は、被告の妻や、その仲間の反政府活動家たちと知り合いながら、夫を追慕していきます。
映画は、この妻の精神の動きよりも前に、社会主義国の司法制度や、その梃子の原理といった部分が描かれており、そこが興味深かったです。
● 愛の確認と再認識
主人公は、夫を失うことで、自分が夫を愛していたかどうか疑いを抱きます。そして、紆余曲折の中で、その愛を確かめていきます。
主人公には、まだ小学生ぐらいの息子がいます。よくできた子で、主人公は夫の死後、その息子と暮らしていきます。
彼女はかつて、お金のためにヌード写真を売っていたことがあります。夫の死後、遺品を整理していると、その時の写真が、顔を切り抜かれた形で何枚も出てきます。
そして、夫が自分をどう思っていたのか考え、二人の間の愛に、不安と疑念を抱き始めます。
彼女は、自分の中の愛に自信をなくして揺れ動きます。そして、行きずりの旅行客と寝たりします。
この主人公の心の推移が映画の主軸になっています。そして、その感情と思いは、映画のラストで、劇的な結末を導き出します。
● 粗筋
以下、粗筋です(ネタバレあり。ラスト直前まで書いています)。
社会主義体制下のポーランド。主人公は弁護士である夫を亡くす。彼女には一人の息子がいた。
主人公の夫は裁判を受け持っており、それは労働運動をした男を弁護するというものだった。
裁判は、夫の師匠筋の定年間近の弁護士が引き継ぐことになる。主人公は、被告の妻の許に行き、彼女の知り合いの反政府運動家たちと知り合いになる。
彼女は、時折起きる現象から、夫が影のようにして現世に留まっていることを信じるようになる。そして、被告の妻の紹介で受けた催眠療法で夫の姿を見て以来、彼がまだ存在していることを疑わなくなる。
裁判は紆余曲折しながら進み、被告は折れて、投獄から解放される。
主人公は、息子をその祖父母の許に預ける。そして、一人で自分の部屋へと戻る……。
以下、ラストのネタバレありの感想です。
● ラスト
映画のラスト、アパートの自室に戻った主人公は、扉と窓の目張りを始めます。
この時点で、映画のラストが分かり、かなり驚きます。
目張りを終えた主人公は、ガスの元栓を開けます。つまり、ガス自殺を始めるわけです。そこに至るのかと思い、びっくりしました。
割と淡々と進んでいく映画なのですが、最後に一気に感情が噴き出し、印象に残りました。