映画「ブラック・スワン」のDVDを去年の2月に見ました。
2010年の映画で、監督はダーレン・アロノフスキー、原案はアンドレス・ハインツ、脚本はマーク・ヘイマン他。主演はナタリー・ポートマンです。
いやあ、面白かった。そして、痛そうでした。
● 監督ダーレン・アロノフスキー
監督のダーレン・アロノフスキーは、ミッキー・ローク主演の「レスラー」(2008)、マーク・ウォールバーグとクリスチャン・ベイルの「ザ・ファイター」(2010)の監督です。
いい監督です。無駄な虚飾のないタイトな雰囲気で、今後の映画も楽しみだなと思いました。
● ナタリー・ポートマンが壊れそう
「壊れそう」というか、途中からどんどん壊れていく。
本作は「母親の支配下にあるバレエ娘が、白鳥の湖の潔白なホワイト・スワンと官能的なブラック・スワンの二役を演じることになる。そして、ブラック・スワンのためのトレーニングをしている内に、今まで蓋をしていた感情が溢れて、人格が分離し、変容していく」というお話です。
その難しい役を、ナタリー・ポートマンが演じています。26〜27歳ぐらいの頃に演じた映画だと思いますが、十代後半の無垢な繊細さから始まり、そこを脱して狂気に身を落とすまでを一人で見せてくれます。圧巻です。
アカデミー賞で、2011年度の主演女優賞を獲ったのも頷けます。納得の一本です。
● 母子対決
この映画には、いくつか対立軸が用意されています。その一つが母親と娘です。
娘を完全に支配しようとする母親。その支配下にあり、無垢な少女のままで居続ける少女。そのストレスで、少女は自傷を続けています。
しかし、ホワイト・スワンとブラック・スワンを同時に演じることが決まり、ブラック・スワンの側面を身に付けていくことで、徐々に母親と対立し始めます。
それは内に向いていた爆発や暴力を、外に向けることでもあります。
この暴力が、かなり痛さを感じる表現で映像化されています。まあ何というか、生爪を剥がすところを眼前に突き付けられるような映像表現です。
なので「うへえ」と言いながら、顔を背けそうになりながら映画を見ました。
この映画のジャンルが「サイコスリラー」というのも頷けます。
● 性的快楽と妄想
もう一つの対立軸が、少女と女です。無垢で自慰すらしたことのなかった主人公が、ブラック・スワンを演じるにあたって、官能さが足らないということで、自慰することを宿題として義務付けられる。
また、フェロモンぷんぷんのライバルと関わっている内に、麻薬と性体験を経て、女へと脱皮していく。
快楽を知り、妄想の世界が広がり、徐々に自我が目覚めていく。
この変化も、この映画の大きな魅力でした。
● パーフェクトブルー
この映画は、今敏の「パーフェクトブルー」(1998)との関連を指摘されたりしましたが、「まあほとんど関係ないなあ」というのが正直な感想です。
一応どちらも見ましたが、表現したい内容も、表現手法も、方向性がまるで違うと感じました。
● ウィノナ・ライダー
ナタリー・ポートマンに主役を取られる老バレリーナ役がウィノナ・ライダーです。
なるほど、そういうポジションかと、色々と思うところがありました。
● 粗筋
以下、粗筋です(終盤開始ぐらいまで書いています。結末は書いていません)。
主人公は母子家庭の少女。彼女はバレエをやっており、自分の殻を破れないでいる。
ある日、主人公は白鳥の湖の主役に抜擢される。その主役は潔白なホワイト・スワンと官能的なブラック・スワンを演じる必要があった。
ホワイト・スワンは問題なかったが、ブラック・スワンは、彼女の中に引き出しがない。主人公は、監督にそのことを指摘され、自分の中から官能の要素を引き出すことを命ぜられる。
また、性的に奔放なライバルを意識することで、自分にその面が不足していることを自覚する。
主人公は、肉体の解放を経験することで、徐々に母親から自立する精神を芽生えさせる。彼女は母親と対立する。また、ライバルと夜遊びに行き、麻薬を経験し、処女を失い、女として変貌していく。
彼女はブラック・スワンの演技を物にする。
そして公演の日が来た。だが、急激な変化と重圧は主人公の心を蝕んでいた。彼女は鬼気迫る演技で観客を魅了する。しかし舞台裏で、その狂気は吹き荒れる暴力として彼女の肉体と精神を蝕んでいた……。