映画「ザ・ファイター」のDVDを、去年の3月に見ました。
2010年の映画で、監督はデヴィッド・O・ラッセル、脚本はスコット・シルヴァー他。出演はマーク・ウォールバーグ、クリスチャン・ベイル他です。
1980〜90年代に活躍したプロボクサー、ミッキー・ウォードとその兄の兄弟愛を描く映画です。
よくできているとは思うけど、個人的には納得のいかない映画でした。
● クリスチャン・ベイル
映画が終わって、スタッフロールを見るまで、クリスチャン・ベイルが主人公の兄を演じていることに気付きませんでした。
13キロ減量し、歯並びを変え、髪の毛を抜いていたそうです。そりゃあ、人相変わり過ぎです。
しかし役者という人間は、何をするか分からないなと思いました。歯並びを変えるなんて、思い付きもしませんでした。
その内、刃牙のハンマーみたいに、骨を切って身長を変えるとか、やり出しかねないと思いました。
● 納得のいかなさ
主人公は、才能はあるけど目が出ていないボクサーです。その状態の理由は、過干渉の母親と元ボクサーの兄が原因です。
彼らは、成り行き任せで、明らかに主人公に不利な対戦カードばかりを組んで、トレーニングの足も引っ張っリます。
主人公は彼女ができ、さらに父の勧めもあり、母と兄と決別して、スターボクサーへの道を歩み始めます。しかし、家族への依存心が強い主人公は、新しい環境に適応できず、再び兄や母を招き入れます。
その様子を見て、「なんだよ、結局自立できていないじゃないか」と思いました。
素行に問題のある人間なら、相手が家族でも積極的に関係を断ち切らないと駄目です。相手は、血が繋がっているだけの他人なのですから。
共に組むに値しない人間ならば、距離を置かなければ駄目です。
特に、この主人公の兄は、麻薬に溺れて、暴力沙汰を起こすような状態なわけですから。
それを、兄弟愛や家族愛という、耳触りのよい言葉で誤魔化して、感動話のように主張するのは、どうかと思いました。
単に自立心がなく、家族に引きずられるだけの主人公に見えました。
● 粗筋
以下、粗筋です。
主人公は、実力はあるが目の出ていないボクサー。
彼の異父兄は、実力派の元ボクサーだった。
主人公は彼に、ボクシングの全てを教わって成長した。兄は主人公のトレーナーだが、欲望に弱く、麻薬に溺れていた。
また二人の母は、息子達に過干渉の女性だった。
そんな兄と母の間で主人公は、優柔不断で自己主張をしない、家族に言いなりの青年として育つ。
彼はある日、バーで女性に会う。二人は付き合い始める。
恋人となった彼女は、主人公の現状を問題視する。彼女は主人公を、兄と母親から引き離して、適切なトレーナーとマネージャーの下でボクシングをさせようとする。その行動に、主人公の父親も乗る。
折しも主人公の兄が、警察に捕まり、収監される。主人公は、兄と母と決別して連勝を始め、スター選手の階段を上る。そして、世界タイトルマッチが近付いてきた。
主人公の兄が出所してくる。兄は再び、主人公のトレーナーの座に収まろうとする。母親の干渉の攻勢も息を吹き返す。
主人公は、ボクサーとしては成長したが、心の中は変わっていなかった。家族に依存する精神はそのままだった。
主人公は、自分の中で満たされない思いを解消するために、再び兄をトレーナーに据えて、世界戦に挑む。