ソフトニック問題
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コンテンツがデジタル化され、その作成手法もデジタルベースになっている現在、コンテンツは作者が望む、望まないに関わらず、ユーザーの手により可能な限り複製されていくだろうと考えています。
これは、水が低きに流れるのと同じです。
技術的に可能であり、それが手軽であるならば、その流れは止めることができません。これは重力に逆らうようなものです。
あとは社会の問題だと思っています。たとえ技術的に可能であっても、その行為が社会に浸透していくには、社会自体の改変が必要になるからです。
たとえば、殺人は技術的に可能であり、それで利益を得る人がいます。しかし、そういった行為を望まない文化があり、人々は法律や倫理によって社会を今ある形に保っています。
デジタルコンテンツの複製も同じようなものです。社会の中で、それが受け入れられるには、社会自体の組み換えが必要になります。
これは、善い悪いの問題ではありません。大多数の人が「善い」と思う安定状態は、唯一無二のものではありません。複数、あるいは無数の均衡状態が、理論的には存在します。
実際、「殺人」に関しても、戦争状態になれば社会の均衡状態が変わり、「推奨される行為」に変わります。
デジタルコンテンツの利用に関しても、社会の多くの人が、無断利用を是とする安定状態に達すれば、それは問題のない行為だと言えます。
しかし、現状では、デジタルコンテンツの無断使用は、社会的に受け入れられていません。
そして、著作権者は、自身の著作物に対して権利を有するという安定状態で社会は回っています。
その中で、その社会の秩序を逸脱した行為を行なうことは、問題行動として社会から糾弾を受けます。
少なくとも、日本で商売を行なうならば、日本の法律に従う必要があります。
今回、私自身の著作物が無断で利用されていたことで、音楽業界の苦悩が少し分かりました。
音楽を聞く人間にとっては「入手手段は何でもいい」というのが本音だと思います。ソフトウェアも同じです。
なので、無断転載自体は、最終的には「利用者に依存する」というのが正直なところです。
これは、聞かれれば立場上ノーと言いますが、実質は防げるものではなく、かつ防ぎようもないと思っています。
技術的に細工をして防ぐこともできますが、それは正当なユーザーの利便性を損ねます。それは私の望むところではありません。
そういった前提で、今回の問題が出てきた時に、以下のtogetterのような発言を行ないました。
□togetter - ソフトニックとYoutubeの違いについて
http://togetter.com/li/93798 また、以前に「フリーな経済」というエントリーも書いています。
□クロノス・クラウン - フリーな経済
http://crocro.com/news/20110114151122.html そういった私自身の思想的な部分があるので、無断配布だけなら最悪黙認する気でした。
しかし実際はそうでなかったために(無断配布+「無断改変」だったために)、きちんと文書として書き起こさなければならないと考え、今回の長文の記事を書きました。
[ソフトニック問題 1/6] ■ ソフトニックのソフトウェア著作物無断使用問題 概略[ソフトニック問題 2/6] ■ ソフトニックの概要とビジネスモデル[ソフトニック問題 3/6] ■ 著作権者に対するソフトニックの権利侵害[ソフトニック問題 4/6] ■ 問題を指摘した著作権者へのソフトニックの返答[ソフトニック問題 5/6] ■ ソフトニックへの弊社からの質問メールと現状の回答[ソフトニック問題 6/6] ■ デジタルコンテンツに対する私の考え方